雑文記【ひびろぐ】

いつだって私たちの手のひらには物語がある。

時は常に動いている。

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ユミはウィンドウガラスに両手と顔をくっつけている。

 

汚れるよ。

ヨシハルは低い声で言う。

 

目の前を走る大通りにはいくつもの車が行き来していて、騒音が絶えることはない。

 

汚れるよ。

ヨシハルは動かないユミに、もう少しだけ大きな声で言った。

 

聞こえていないのか、聞こえないフリをしているのか。

ユミは動こうとしない。

 

ヨシハルはゆっくりとユミの方へと歩き出す。

ユミはガラスに両手と顔をくっつけたまま。

 

汚れるよ。ガラスが。

ヨシハルは笑いながら言うが、ユミは少しも笑わない。

ユミとガラスがくっついている周辺が白く曇っている。

 

この赤いのがかわいいの。

ユミはガラスを人差し指でコツコツする。

 

家にピンク色のがあるでしょ。あの、なんか、女の子が描いてあるやつ。

ヨシハルは膝を曲げて、ユミの顔に近づく。

 

女の子じゃない!お姫様!

ユミはヨシハルに強く言う。

 

ごめん、ごめん。でもこの赤い自転車、ユミには大きすぎるだろ?

 

だってもうピンクやお姫様、っていう感じじゃないし…。

ユミの言葉にヨシハルは笑う。

 

そうだよな。もう補助輪なしでひとりで乗れるもんな。

 

うん。たくさん練習したもん。

 

じゃあ、帰ったらママに聞いてあげるよ。新しい自転車買っていいかって。

 

……。わたし、自分で言う!

 

そうか。

ヨシハルは少し驚きながら、膝を伸ばして立ち上がる。

膝が、ポキッ、と鳴って少し痛い。

 

ユミとヨシハルは並んで歩いて行く。

ユミは何度も振り返る。

赤い自転車を目に焼き付けるように。

 

返ったらママに何て言うんだい?

ヨシハルは横を歩くユミに言う。

 

うーん、どうしようかな。大切なのはタイミングだよね。まずはしっかりお手伝いしてから…。

ユミの言葉に、ヨシハルはまた笑った。

 

そう言えば…。

ヨシハルはそう言いかけてやめた。

 

ヨシハルが膝を曲げて座った時、ユミの目線の方が高かった。

気がつけば。

いつの間にか。

 

毎日いると意外と気がつかないものだ。

 

隣を歩くユミを、ヨシハルは横目でチラリと見つめた。