素晴らしき世界③
電車に乗った。
座席は満席。
仕方なく立って吊り革につかまる。
両手でつかまり、電車の揺れに体を委ねる。
ドアが開くたび、ぬるい風と人々が出入りする。
さっきまで飲んでいた酒がからだを巡り、一緒に眠気も巡ってくる。
いろいろなものに耐えながら、ようやくあと一駅。
ドアが開き、ぬるい風と一緒に一人の老婆が入ってきた。
老婆は杖をつき、ゆっくりと足を踏み出していく。
こんな時間に、と思いながらまわりを見渡す。
座席はまだ満席。
老婆は閉まったドアにもたれかかるように立つ。
すると、一人の女性が老婆に近寄った。
あそこの席が空くのでどうぞ。
女性は老婆に言う。
いや、ここでいいですよ。ありがとう。
老婆は小さく笑う。
私、次の駅でもう降りるので。どうぞ。
女性も老婆に笑いかける。
ありがとう。
老婆はやさしくお礼を言った。
女性は老婆の手をとって席まで案内する。
老婆はゆっくりと座席に座り、女性に深くお辞儀をする。
女性もお辞儀をして、老婆が立っていたドアの前で立ち止まった。
素敵だな。
譲る方も譲られる方も。
そう思っていると、駅に着いた。
少しだけ酔気と眠気が覚めた私は、電車を降りる。
ぬるい風がからだじゅうを纏ってくる。
階段の方へと歩いていくと、前方にはさっきの女性が歩いていた。
同じ町なのかな。
ジリリリリ…とベルが鳴る。
ドアが閉まる合図。
すると女性は再び電車に飛び乗った。
さっきまで乗っていた電車と同じ。
アナウンスが響いて、ドアが閉まる。
女性はさっきより2両先のドアの前に立っている。
電車が動きはじめる。
女性は立ったまま本を読みはじめた。
2両後に、座席に座った老婆が見えた。
素敵だな。
そう思いながら、階段を下りる。
あの女性の気持ちがすべてちゃんと伝わりますように。
あの女性と老婆が同じ駅で降りることがありませんように。
妙な老婆心が私の中を駆け巡った。