比較的比較しやすいタイプ。
遊園地にある立て看板。
この看板より身長が低い子はこの乗り物に乗れませんよ、ってやつ。
悲しそうな顔した男の子が、看板の横に立っている。
現実を受け入れられないのだろう。
さっきダメだったのに、もう一度チャレンジしている。
さっきは何かが間違っていたのかもしれない。
さっきより身長が伸びているかもしれない。
少し離れて立て看板を見ると、自分と同じくらいの高さに見えたから。
よく見ると、男の子のかかとが少し浮いている。
それでも、やっぱり、ダメだった。
なかなかその場から離れようとしない男の子。
「また来よう」
「次来るときは大きくなってるからきっと乗れるよ」
両親が交互に男の子に話しかける。
男の子はとうとう泣き出した。
泣くほど悔しいのだろう。
そして、男の子は小さいながらも、もうわかっているんだ。
次またここに来る保証は何もないと。
今を逃したら、もう次はないかもしれない。
だから悔しいんだ。
どうして今はこれほどしか身長がないのか。
ここに来るのがあと1年遅かったら。
もしかしたら1か月かもしれない。
もしかしたら1日かもしれない。
どうして今日なんだ。
男の子が比べているのは、立て看板じゃない。
立て看板と身長を比べているけど、本当はそうじゃない。
少し未来の自分と比べているんだ。
男の子はもうわかっている。
悔しさの矛先は両親でも立て看板でもなく、自分に向いていることを。
涙を拭ききることができないまま、手をひかれて離れていく男の子。
私にもあんな頃がきっとあった。
私はもう誰かと背を比べることはない。
もう伸びないし。
背が高い人もいれば低い人もいる。
そこに大した価値はない。
それでも誰かと何かを比べてしまう。
安心したいのか絶望したいのか。
男の子はどこかへ行ってしまった。
誰かではなく、自分と背比べしていた男の子。
きっとまた男の子はここにやってくるだろう。
両親に連れられてやってくるのか。
それとも、大きくなって自分の力でやってくるのか。
背比べの相手はいつだって自分じゃないとダメなのに。
明日の自分。
昨日の自分。
どこかに何かの印をつけなくても、わかる。
なのに、私は、どこかに何かの印をつけてしまう。
安心したいのか絶望したいのか。