森を見て木を見ず。
コンビニのレジに並んでいると、どこかから視線を感じた。
まわりを見渡すと、隣のレジに並んでいる人と目が合った。
その人は私と目が合うと会釈をしてきた。
愛想のよい人だな、と思って私も会釈を返す。
しかし、すぐに違和感を覚えた。
何かがどこかで引っかかっている。
どこかで見た顔だ。
会釈をしてくれた人とはどこかで会っている気がする。
もしくは、どこかで見た記憶がある。
私は頭の中をフル回転させる。
記憶という記憶を引っ張り出し、同じ顔を探す。
どこで見たのだろうか。
もしかしたら私が忘れているだけで、元々知り合いなのかもしれない。
名前はもちろん出てこない。
顔すら思い出せないんだから当たり前。
もう一度しっかり顔を見たいけど、あんまりジロジロ見るわけにもいかない。
チラチラ見ていて話しかけられても困る。
だってその人のことを思い出せていないのだから。
話すことになったら、私が思い出せていないことがバレてしまう。
私は平静を装ってレジに並ぶ。
それでも頭の中はフル回転。
それでもやっぱり思い出せない。
レジの順番がやってきた。
かごを出し、バーコードを読み取ってもらっている間も思い出そうとする。
もしこのまま思い出せずに、同時に店を出たらどうしよう。
思い出すことを半ば諦め、次の手を考える。
向こうのほうが会計を先にしていたので、私は時間稼ぎすることに決めた。
金額がレジに表示され、店員さんに値段を言われるまで財布を出さない。
小銭をゆっくり数えながら出す。
嗚呼申し訳ございません、店員さん。
嗚呼申し訳ございません、うしろに並んでいる方々。
私のせいでこんなにも多くの人に迷惑をかけてしまっている。
すべては私の記憶力のなさ。
そして私の汚い部分のせい。
横目でチラリと見ると、その人はもう会計を済ませて店から出て行くところだった。
私はおつりをもらうと、ゆっくりと財布の中に入れ、レジから離れた。
しかしまだ油断はできない。
もしかしたら、店の外で私を待っているかもしれない。
久しぶり、なんて声をかけられたらどうしよう。
頭の中と鼓動が再びフル回転しはじめる。
ゆっくりとまわりを見渡しながら店の外に出る。
その人は、いなかった。
厳密に言えば、その人はもう何十メートルと先を歩いていた。
こちらを振り返ることなく、歩いていた。
ほっとした。
しかしその人は私が行きたい方向に歩いていた。
私が帰る方向に歩いていた。
この距離を保ちながら私も歩く。
その人は随分と歩くのが遅い。
うつむき加減なところを見ると、きっとスマホでも見ているのだろう。
ダメだよ、歩きスマホ。
特に今はダメだよ、歩きスマホ。
なんて思いながら、まだ私はその人が誰なのか思い出そうとする。
危機のピークは過ぎたとは言え、まだ油断はならない。
ビニール袋を持って歩くとこんなに音がするのかと思うほど、音がする。
ビニール袋がこすれる音が。
からだから離し、少しでも音が出ないようにする。
その人は私と帰る道が一緒のようだ。
いつか角を曲がってくれると思いながら、まっすぐ進んでいく。
隠れる場所はない。
振り返られたら、おしまいだ。
記憶の引き出しをいくつ開けてもその人は出てこない。
学生時代まで遡っても、出てこない。
でも、確かに見覚えのある顔なのだ。
それだけは確か。
どこかで私とその人は繋がっている。
距離を保ち、音を潜めたまま、必死に思い出す。
どんどん時代が古くなる。
終いには、頭の中で私が子供のころまでタイプスリップしている。
その人はとうとう角を曲がった。
しかしその角は、私も曲がる角だった。
もしかして…。
私の中で恐ろしい仮設が浮かび上がる。
その人は私の家へと向かっているのではないか。
曲がった角から少し歩いたところに、私の住むマンションがある。
そこで私を待つつもりなのではないか。
まさか…。
そんなことがあるはずないと、私も角を曲がる。
その人は私の住むマンションの前まで歩いている。
もしかして…。
まさか…。
その人は私の住むマンションの中へと入った。
そして、とうとう私は思い出した。
その人が何者なのか。
その人と私はどこで繋がっていたのか。
その人は隣人だった。