雑文記【ひびろぐ】

いつだって私たちの手のひらには物語がある。

行列の先に秘密がある。

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誰かが、良い、って言うとそんな気がする。

そんな私はきっと自分に自信がないのだろう。

 

でもひとつだけ自信を持って言えることがある。

 

近所にラーメン屋ができた。

行列ができるほどの人気店。

はじめはオープンしたばかりだから行列ができているのだと思っていた。

 

でもそれは間違いだと、しばらくしてから知った。

オープンしてから数日が経つというのに、行列は絶えることを知らない。

私の知人も滅多に行列なんかに並ぶことはないのにわざわざ並んだらしい。

「美味しかったよ」

知人は私にそう言った。

 

口コミの威力は凄く、信用度は高い。

 

しかし、私の考えはすこし違う。

 

腹が減った。

作るのは面倒臭い。

何を食べに行くか考える。

あそこのラーメン屋は美味しいらしいよ。

せっかくだから行ってみよう。

予想以上の行列だ。

でもせっかくだから並んでみよう。

もう、ラーメン食べる気満々だから。

時間が経つ。

余計、腹が減る。

ようやく店に入る。

客が多いのですぐには出てこない。

余計腹が減る。

ようやくラーメンが出てくる。

美味い。

…。

…。

…。

 

前置きが長くなったけど、私が自信を持って言いたいことはこれだ。

 

そりゃそうだよ。

腹減ってから向かって、さらに時間が経って、さらに腹が減ってるんだから。

 

これだけ腹が減れば、こんなに行列ができるラーメン屋のラーメンじゃなくても、料理をほとんどしない私が作ったインスタントラーメンだって相当に美味いはず。

 

行列ができること自体は凄いと思うけど、飲食店の場合は少し趣が異なる気がする。

 

いろんな反論はあるでしょう。

いろんな異論もあるでしょう。

 

ただ私が言いたいことは、行列ができるからといって必ずしもそれに値する料理が出てくるかは、行列ほどの信用度はないということ。

 

美味いものはきっと腹が減ってなくても美味いから。

腹が減って美味いものイコール腹が減ってなくても美味いものではないということ。

 

反論も異論もあるでしょう。

私だってこの私の論に反したいし意義を唱えたい。

 

行列ができるってことは、やっぱり凄い。

寒空の下、腹が減っているのにラーメンのために並ぶこと。

行列ができているから他の店にしようという選択肢もある中、行列に並ぼうと思わせること。

 

もしかしたら行列に並んでいる人の多くは、我慢をすることでさらに美味しくなることをわかっているのかもしれない。

元々美味しいけど、我慢をすればするほどさらに美味しくなると。

 

そう思わせるには、やはり店側の実力と努力が必要だ。

結局、美味しいということは行列ができる最低条件だから。

 

行列を作らせる店も長い行列に並ぶ人も、そこにまったく関係ない人も。

どこかに辿り着くには、長く大変なことがたくさんあるということ。

美味いラーメンを食べることだけでなく、何かを得るには多くの我慢が必要だということ。

 

目に見えるものの奥には隠された何かがある。

 

私が自信を持って言いたいことが、ひとつ増えた。