雑文記【ひびろぐ】

いつだって私たちの手のひらには物語がある。

見えないものを見る力。

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月が見えるころに家を出て、月が見えるころに家へと帰る。

頑張っていると錯覚する。

 

月はいつだってあそこにいるのに。

見えない時間があるだけで、いつだってあそこにいるのに。

 

見えているか見えていないかの違い。

ただそれだけ。

 

厳密に言えば、昼でも月は見える。

見えないときもあるけれど、よく目をこらせば見える。

 

見ようとするか見ようとしないかの違い。

見つけやすいか見つけにくいかの違い。

 

だから自分の頑張りを誰かに見つけられなくても気にすることはない。

頑張っている人はどこだ、なんて目をこらして探している人なんてほとんどいないのだから。

 

気にする必要はない。

頑張っているのに認められないのは、まだ見つかってないだけだから。

 

昼間の月と同じ。

夜になれば見えるかもしれない。

それが今日なのか、一週間後なのか、一年後なのか、それとも。

いつ夜がやってくるのかなんて、誰にもわからない。

 

誰かのために頑張るといいながら、結局は自分のために頑張る。

それでいいと思う。

誰かが喜ぶために頑張るというのは、誰かが喜ぶのを見るのが嬉しいから。

それは即ち、自分のため。

それでいいと思う。

 

それが偽善だなんだと言う人の言葉に耳を傾けてはいけない。

何もしない人よりも、自分のために頑張る人の方が尊いに決まってる。

 

頑張らなくてもいい、という言葉もある。

でも頑張らない人なんてきっといないんだ。

頑張ろう、と頑張る人もいる。

頑張れるようになろう、と頑張る人もいる。

 

頑張りなんて人それぞれ。

 

そこらじゅうに頑張り屋さんがいるんだから、私のことなんて目をこらして探してはくれない。

探してはくれないけど、見つけられないわけではない。

 

真昼の月のように。

 

もう頑張れない、となったらそこから離れればいい。

そこは居場所じゃなかったってこと。

こっちかもしれないし、そっちかもしれないし、あっちかもしらない。

 

どこかにきっと頑張るための居場所が見つかるはず。

だって世界はこんなに広いんだから。

もっと目をこらして探さなくちゃ。

今は見えてないだけで、どこかにあるはずだから。

 

真昼の月のように。

 

夜空に浮かぶ月を見ながら家路に着く。

やることやって早く寝なくちゃ。

明日も朝早いから。

 

月が見えなくなってしまう前に家を出なくちゃ。

そして月が見えるころに家へと帰ろう。

 

夜も昼も朝も。

月はいつだってそこにいるから。