雑文記【ひびろぐ】

いつだって私たちの手のひらには物語がある。

記憶は上書き保存される。

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仕事の関係で学生時代住んでいた町へと行った。

 

すっかり町並みは変わっていて、記憶の中とは違う町みたい。

それでも所々にあるのは記憶通りのもの。

 

居酒屋、牛丼屋、小さな服屋、ビル、会社、看板。

見るだけであの頃の記憶が蘇る。

 

仕事を終えると学生時代に住んでいたマンションを見に行った。

駅に行くには少し遠回りになるけれど、まだ存在しているのか確認したかった。

 

まだあった。

あの頃よりかはいくらか外観が汚れている。

そりゃそうだ。

あの頃から何年経っている。

雨も風も太陽も月も、どれほど浴びているのか。

 

様々な記憶が蘇る。

久しく連絡していない顔が浮かぶ。

誰もがあの頃のまま若く、今の私とは年齢が明らかに違う。

 

あの頃は…なんて懐かしむ時点で年取ったなと思う。

 

見上げると、私が住んでいた部屋には明かりが点いていた。

 

何年か前に、確かに私はあそこに住んでいた。

何年か前に、確かに私はこの町で生きていた。

 

明かりの点いた部屋を見て、あの頃より明るい気がした。

そりゃそうだ。

あの頃から何年経っている。

今ばかり見ていたら、今はわからない。

過去を確認して、進化を確認できる。

 

私はあの頃より進化できているのだろうか。

電球の明るさほどの進化は、しているのだろうか。

そんなことを思う時点で、年取ったなと思う。

 

明かりの下に住む見知らぬ君はどうなのだろう。

君も昔を思い出すことはあるのだろうか。

君がこのマンションに住む前にいた所を見に行ったことはあるのだろうか。

私と似たようなことを思ったりするのだろうか。

 

私の過去が君の現在というわけではない。

私の現在と君の現在が、今ここで交わっただけだ。

 

君は私のことなど知らない。

私も君のことを何も知らない。

住んでいる場所以外。

顔も名前も年齢も性別も知らない君にとっては関係のない話だ。

 

この先、君とどこかで会うことがあるかもしれない。

これが最初で最後かもしれない。

お互い存在を知らぬまま、この町ではないところで生きていくのかもしれない。

 

それでも私は君に妙な親近感を覚える。

なにも知らない君のことを。

 

それだけで、ここに来てよかったと思える私がいる。

 

私は駅へと向かう。

明日も仕事だ。

君は学生なのだろうか、働いているのだろうか。

 

私の記憶は更新された。

学生時代に住んでいたマンションの記憶が。

もう少し小綺麗だったはずのマンションも年を取っていた。

それでも私がここに住んでいたころの記憶はしっかりと残っている。

むしろ鮮明になった。

 

あの頃のあいつらは元気なのだろうか。

またいつかどこかで笑い合いたい。

 

見知らぬ君も、どうか元気でいてほしい。

次にこの町を訪れたとき、私は学生時代のことと共に君を思い出すだろう。

そのとき君はこの町にはいないかもしれない。

この部屋にはいないかもしれない。

それでも、顔も知らぬ君と部屋の明かりを思い出すだろう。

 

最後に振り返ると、部屋の明かりは消えていた。

 

駅まではもう少し。

明日も仕事。

早く帰って、寝るとしよう。