雑文記【ひびろぐ】

いつだって私たちの手のひらには物語がある。

入口と出口は別々。

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居酒屋で知人と食事をする。

 

隣の座敷から声が聞こえる。

それぞれ個室になっているため、顔は見えない。

男性と女性の声。

声から察するに、若いカップルか。

 

男性はきっと社会人。

彼なりの仕事論を延々と話している。

 

そこまではっきりとは聞き取れないが、アウトプットがどうだとか、インプットがどうだとか言っている。

 

聞こえる声のほとんどは男性のもの。

女性の声は時折聞こえてくる相槌くらい。

 

あまり聞き耳を立てるのも良くないな、と思い、私は知人との会話に集中する。

 

しばらくすると、「生おかわり!」という声が聞こえてきた。

隣の座敷からだ。

さっきまでとは声量がまったく違う。

店内中に響いていそうな声量。

 

私も知人も思わず隣の座敷に目をやる。

仕切りがあるから見えないけど。

 

男性の会話はさっきと変わらず仕事に関することばかり。

でも毛色が違う。

上司がどうのだとか、先輩がどうのだとか。

俺は何も悪くないだとか。

 

熱い仕事論からただの愚痴へと変わっている。

 

「生おかわり!」

「生まだっ!?」

男性の声量はさらに上がる。

「おまえも飲めよ」

「もういらない」

「なんだよ、つまんねーな。生まだっ!?」

男性の声量に反比例するように、女性の声はほとんど聞かなくなった。

 

「飲めよ!俺がおごってやるんだから」

「ねえ、生まだっ!?」

「おっせーな」

男性は止まらない。

 

私と知人は目を合わせ、苦笑いするしかない。

 

しばらくそんなことが続いていると、隣は静かになった。

店を出たのだ。

                                                      

私も知人もほっとした表情を浮かべる。

そして少し時間を置いてから、私たちも会計をお願いした。

 

店を出ると、隣の駐車場で男性が座り込んでいる。

そのうしろでは女性が立ったまま、男性を見下ろしている。

 

きっと隣の座敷にいたふたりだろう。

顔は見ていないし、ふたりは会話をしていないから声もわからない。

でも、きっと、そうなのだろう。

 

男性は駐車場のすみっこで、ゲエゲエと嘔吐している。

女性は立ったまま、背中をさするでも声をかけるでもなく、ただ見ている。

 

アウトプットがどうだとか、インプットがどうだとか。

男性が熱く語っていた仕事論を思い出す。

 

愚痴を吐き出し、店員に悪態を吐き出し、さっきまで飲食していたものも吐き出す。

インプットしたものをアウトプットしている。

 

「私、もう帰るね」

吐き続ける男性を見下ろしたまま、女性は言う。

 

女性は男性を吐き出すように冷たい言葉と視線を残し、去って行く。

 

男性は、ちょっと待って、と言いかけて、また嘔吐した。