雑文記【ひびろぐ】

いつだって私たちの手のひらには物語がある。

目先の繰り返しが未来になる。

f:id:touou:20190226205056j:plain

 

少しだけ遠回りだけど、あの横断歩道を渡るのか。

急な階段があるけど、この陸橋を渡るのか。

 

いつも迷ってしまう。

どっちが楽なのか。

どっちが得なのか。

 

時間のことを考えれば、陸橋。

疲労のことを考えれば、横断歩道。

 

これは今までの経験から、明らかだ。

 

大切なのは、どっちが正解か、っていうこと。

 

毎朝通るこの道で、私はいつも選択を迫られる。

 

しかし、と今は考えてみる。

時間にしたら数分しか変わらない。

もう少しだけ早く家を出たら、この数分を惜しむ気持ちはなくなるだろう。

 

疲労のことを考えたら、階段の昇り降りか遠回りするかで、結局どっちも体力は使う。階段があるぶんだけ、体力の消費がわかりやすいだけなのかもしれない。

仮に階段のほうが体力を使うのなら、運動不足の私にとってはいい運動だ。

 

何が良くて何が悪いのか。

何が得で何が損なのか。

目先のことばかり考えていたら、何もわからなくなってしまう。

 

それでも、目先の繰り返しが遠い未来につながっていることも確かだ。

 

どっちにしようか迷って立ち止まるくらいなら、時間を惜しむ必要はない。

どっちにしようか迷って時間が過ぎて結局走るくらいなら、疲労を考える必要はない。

 

ああ、こんなことを考えていたら余計に時間がなくなる。

もう少しだけ早く家を出ればいいだけ、と言われても。

朝にそんな余裕はない。

 

もう少しだけ早く家を出ればいいだけ、と言われても。

そんな簡単なこともできないから、こんなことで迷っている。

 

迷いながら、正解と不正解を行ったり来たりしている。

 

陸橋の上からは朝日がとても綺麗に見える。

横断歩道のそばには美しい花壇がある。

 

正解か不正解か。

そんなことは、その時に感じればいい。

どっちにも正解があり、どっちにも不正解があるのだから。

 

私たちは、正解と不正解を行ったり来たりを繰り返しているから。

 

わかっていることは、ただひとつ。

 

このままだと遅刻するってことだけ。