目先の繰り返しが未来になる。
少しだけ遠回りだけど、あの横断歩道を渡るのか。
急な階段があるけど、この陸橋を渡るのか。
いつも迷ってしまう。
どっちが楽なのか。
どっちが得なのか。
時間のことを考えれば、陸橋。
疲労のことを考えれば、横断歩道。
これは今までの経験から、明らかだ。
大切なのは、どっちが正解か、っていうこと。
毎朝通るこの道で、私はいつも選択を迫られる。
しかし、と今は考えてみる。
時間にしたら数分しか変わらない。
もう少しだけ早く家を出たら、この数分を惜しむ気持ちはなくなるだろう。
疲労のことを考えたら、階段の昇り降りか遠回りするかで、結局どっちも体力は使う。階段があるぶんだけ、体力の消費がわかりやすいだけなのかもしれない。
仮に階段のほうが体力を使うのなら、運動不足の私にとってはいい運動だ。
何が良くて何が悪いのか。
何が得で何が損なのか。
目先のことばかり考えていたら、何もわからなくなってしまう。
それでも、目先の繰り返しが遠い未来につながっていることも確かだ。
どっちにしようか迷って立ち止まるくらいなら、時間を惜しむ必要はない。
どっちにしようか迷って時間が過ぎて結局走るくらいなら、疲労を考える必要はない。
ああ、こんなことを考えていたら余計に時間がなくなる。
もう少しだけ早く家を出ればいいだけ、と言われても。
朝にそんな余裕はない。
もう少しだけ早く家を出ればいいだけ、と言われても。
そんな簡単なこともできないから、こんなことで迷っている。
迷いながら、正解と不正解を行ったり来たりしている。
陸橋の上からは朝日がとても綺麗に見える。
横断歩道のそばには美しい花壇がある。
正解か不正解か。
そんなことは、その時に感じればいい。
どっちにも正解があり、どっちにも不正解があるのだから。
私たちは、正解と不正解を行ったり来たりを繰り返しているから。
わかっていることは、ただひとつ。
このままだと遅刻するってことだけ。