正義の味方はどこにいる?
立場によって正義は変わる。
ドフラミンゴの言う通りだ。
正義なんて大きなことは私には言えないし、正義とは違うけれど、見方は確かに変わる。
ルフィは良い奴だし、麦わらの一味も良い奴ら。
でも彼らは、海賊、なんだ。
海賊は大多数の人からすれば、悪。
決して、正義、ではない。
でも麦わらの一味目線でストーリーは進む。
どうしたって麦わらの一味が正義となる。
実際、悪い奴らをやっつけているけど。
でも、ルフィにやっつけられたドフラミンゴ目線でストーリーを読むと、また見方が変わってくる。
小説だって映画だって歌だって詩だって。
目線をどこに合わせるか、どこから見るかで、正義と悪はひっくり返る。
まあ、ドフラミンゴはそのことを言ってるんだけど。
何が正しくて何が間違っているかなんて、人の数だけある。
そんなことを考えているうちに時間がなくなってしまった。
待ち合わせの時間が迫ってきた。
タクシーで行こう。
もう時間がないから、待ち合わせ場所までタクシーで行くことにした。
タクシーを捕まえ、行き先を告げる。
運転手さんの自己紹介はいらないから、早く行ってほしい。
時間がないのは私のせいだから、急いでください、なんて言えない。
それでもやっぱり急いでほしいから、ギリギリ行けそうな信号で止まったり、前方車が遅いのに車線変更しなかったり、そのたび無駄話をしてくる運転手さんだったり、小さなことでイライラしてしまう。
わかってるよ。
悪いのは私だって。
運転手さんは安全運転してくれてるだけだって。
普通に考えたら悪は私だけど、私の目線に立てば運転手さんが悪になる。
一般的には運転手さんが正義だけど、私の目線に立てば私が正義になる。
なんだかんだで、ようやく目的地。
ここら辺でお願いします、なんて言っても停める場所がない。
交差点付近だし、後ろにはたくさん車がいるし。
時間はギリギリ。
変な汗をかいてしまう。
無理矢理にでも停めてほしい。
でも言えない。
スピードは落としてくれているけど、停めるところがない。
ちょっとずつ降りたいところから離れていく。
さすがに時間がないから、とうとう言った。
ここで降ろしてください、と。
私がこのタクシーのうしろを運転していたら、きっと怒りに震えるだろう。
車内で罵詈雑言を吐き出すだろう。
こんなところでハザードを点けるかと。
こんな迷惑なところで停まるかと。
ごめんなさい、後続車たち。
ごめんなさい、運転手さん。
でも、もう時間がないんだ。
私の目線に立てば、私が正義だから。
逆の目線に立てば、それはもう私は悪の親玉。
やっぱり立場によって正義は変わるし、見方も変わる。
変わらないのは、時間に厳しいあの人の性格。
恐らく遅刻。
言い訳はどうしよう。
どうせならタクシーに乗ってるときに軽く事故ってくれたほうがよかった。
物損で。
それならあの人もきっと許してくれるだろう。
振り返るとタクシーはもう町中に消えていた。
もう少し早く家を出ていれば、この正義も悪もなかった。
あの人は怒っているだろう。
絶妙に迷惑な場所に停車したタクシーのうしろを走っていた運転手さんたちのように。
正義の見方、はどこに立つかで敵にも味方にもなる。