雑文記【ひびろぐ】

いつだって私たちの手のひらには物語がある。

世の中知らなくていいこともあるらしい。

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「あの人はしょっぱいのが好きだから」

知人がおにぎりを作りながら言う。

 

「塩かけすぎじゃない?」

という私の質問に対する答えだ。

 

「それにしても…」と私が続けようとする。

 

「からだに悪いのはわかってる。でも、おいしく食べてほしいじゃない?」

知人は照れる様子もなく笑う。

 

「いいね、あいつも。愛されてて」

知人の旦那も私の知人だ。

ふたりとも昔から知っていて、知人宅に入り浸ることもしばしば。

ふたりとも、そんな遠慮知らずな私を快く迎え入れてくれている。

多分。

 

「やっぱさ、それだけ長く一緒にいると何も言わなくてもわかることってあるの?」

ふたりは学生時代から付き合っており、今に至るまで十年以上は一緒にいる。

 

「そういうのは、ない」

知人の言葉は私が思っていたのとは違った。

 

「ないの?これだけ一緒にいるのに?」

「ないよ」

「阿吽の呼吸、っていうか、ツーカーの中、っていうか、テレパシーみたいなの」

「あるわけないじゃん」

知人は鼻で笑う。

私をバカにしたように、少しだけ寂しそうに。

 

少しだけショックだった。

私にはこれほど長く付き合った彼女はいない。

長年連れ添っているとテレパシーみたいなふたりだけの伝達手段が、解明されていないだけの伝達手段が、いつか私も手に入れられるかもしれないと思っていたから。

知人のテレパシー否定は、私にそういう相手ができないと言われているようで、ショックだった。

 

「じゃあさ、あいつの好きなおにぎりの具は?」

私は食い下がった。

テレパシー信者ではないが、このままではかわいそうすぎるから。

私が。

 

「昆布」

知人はすぐに答える。

 

「形は?」

「三角」

「海苔は?」

「しっとり」

「どのくらい食べる?」

「大きめふたつ」

私の質問に淀みなく答える知人。

 

「これはテレパシーでもなんでもない。ただの経験値」

知人はまた鼻で笑う。

 

「テレパシーじゃなくても、テレパシーっぽいことは?」

私は食い下がる。

 

「ないわよ。よく考えてみて。テレパシーなんてあったらきっと迷惑よ」

知人はなにかを感じたのか、私を慰めるように言う。

 

「いろんな人の口に出さない思いが勝手にわかるのよ。人が口に出さずに頭で思っていることって大体悪いことでしょ。人なら思ったことを一旦吟味して言葉にするはずだから。それでも世の中には、口が災いのもと、で争いが絶えないのに」

知人は眉間にしわを寄せる。

 

「まあ、たしかに…」

私はそう言うしかできなかった。

「でも…」

私がそう言いかけたとき、知人は人差し指を私の顔の前に差し出した。

 

「誰彼構わずテレパシーがやってきたら、ここでも考えてることがわかるのよ?面倒臭くない?」

「まあ…」

「しかも一緒に住んでみなさい。四六時中、あの人が思ってることが勝手にこっちに入ってくるのよ。考えただけで面倒臭い。世の中にテレパシーが溢れたら、きっと人類は滅亡するわ」

知人は人差し指を私に向けたり宙に投げたり、忙しなく動かした。

 

「わからないことがあっていいの。わからないことがあって当たり前なの。わからないことがあるからわかろうとするの。わからないことがあるからわかることもあるの。誰かのことを全部わかろうとするのはただの傲慢。誰かのことを全部わかったつもりでいる人は、きっとその人のことをなにもわかってないの」

 

知人はやさしく笑う。

私は黙り込む。

妄想はいつだって自分に都合の良いことばかり集める。

 

それでも知人はきっとあいつのことを大切に想ってる。

あいつも知人のことを大切に想ってる。

なにも言わなくても、テレパシーじゃなくても、感じるものはある。

 

「はい、これ」

知人はおにぎりをひとつ差し出す。

「梅が好きでしょ?」

私の好きな梅のおにぎりだ。

少し大きめで、のりは程良くしっとりしている。

 

「ありがとう」

私はおにぎりをいただく。

 

「しょっぱっ!あいつ、いつもこんなおにぎり食べてるの?」

 

「そうよ。からだに悪いでしょ」

知人は大きく笑う。

おいしく食べてほしいから、と言った知人の言葉が頭を巡る。

 

きっとふたりにテレパシーは要らないのだろう。

でもふたりが気づいてないだけで、テレパシーみたいなものはあるのかもしれない。

 

私はまだ望みを完全には捨てていない。