風の強い日が苦手な理由。
風が強い日は苦手。
せっかくまとめた髪の毛がすぐに乱れる。
お気に入りの服はしわになったり汚れたり。
歩いても自転車に乗っても、大体向かい風。
まだひんやりする風が強ければ強いほど、私の行く手を阻む。
目の前のことだけに必死になって、前から吹いてくる風に目を細めてそのうちなにも見えなくなる。
扉は勝手に開くし、閉じる。
私の力じゃどうしようもない。
だから風の強い日は苦手なの。
そう思いながら、空を見上げる。
見えるものも見えないものも、いらないものを全部風が吹き飛ばしてくれて星が見える。
風に吹き飛ばされることのない、いくつもの星が。
たまに追い風になって。
あの人のところへ近づいてみな、って背中を押してくれる。
見たくないのに、行きたくないのに。
だから、風が強い日は苦手なの。
頑張った日に限って。
今日は頑張ったと思ったときほど、頑張れと言われる。
どうしてなのだろう。
この頑張りが伝わらないなんて。
あなたのために頑張っているわけではないけど、寂しいもの。
そんなことはしょっちゅうあるから慣れているでしょう、なんて言われてもいつまで経っても慣れない。
いつかわかってくれる日がくると思っていたけど、それはいつなの?
あなたの目から見たらそうなのかもしれないけど、私はそんなあなたを信用しない。
あなたの目は節穴なの?
どこをどう見て言っているの?
結果が大切なことはわかっているけど結果がすべてじゃないと信じている。
あなたのことより随分と信じている。
甘いと言われようが関係ない。
甘いものは大好きだから。
頑張ったのに頑張れなんて。
もっと頑張る気があったのに、そんな気がどこかへ飛んでいってしまいそう。
勿体ないから、留めておく。
怒りと悲しさとどうしようもなさと一緒に。
気にしないようにすればするほど気になってくるから。
言われなくても、もっと頑張る。
だからあなたはもう私に何も言わないで。
私なりの涙の出し方。
どのくらい泣いていないのか、自分でもわからない。
泣いたことはもちろんあるけれど、どうして泣いたのか思い出せないくらいに前のこと。
泣かないことはからだに悪いと聞いたから。
どうにかして涙を流したいと考える。
泣けると評判の映画を観る。
泣けない。
泣けるみんなが観て泣けると言うのなら、私が泣けるはずがない。
壁に頭を打ちつける。
危ない奴だと思われるから、誰もいないところで。
血が出るほど、骨が折れるほどにはやらないけれど十分痛い。
それなのに涙は出てこない。
痛いくらいで泣けたら苦労しない。
目をずっと開けてみる。
乾燥する瞳を本能が守るために涙の一粒でも流れてくるかと思ったけれど、そこまで我慢できずに目を閉じてしまう。
泣けない私を思い浮かべる。
かわいそうな人。
自分ではそう思っていなくても、思い浮かべると自分のことでもそう思えるから不思議。
つまらない映画が流れたまま、頭が少し痛いまま、瞬きをする。
涙なんか出ない。
かわいそうな人。
そんな声がどこからか聞こえてきた。
私の声で聞こえてきた。
そうしたら、自然と涙がこぼれてきた。
染まる色、朝昼夜。
朝はまだ冷えるから、頬がピンクに染まる。
指先に息を当てて、ホットの缶コーヒーを買う。冷たい頬に当てたら熱すぎて嫌になっちゃう。
昼は騒がしい町に飲み込まれる。
音や匂いに支配されて、見たものすべてに染まっていく。私は白くないのに、いろんな色にすぐに染まってしまう。
抗うのは簡単じゃない。気を抜いたらすぐに私は消えてしまう。
ここにいるよ、と大声で叫んでも誰にも届かないまま陽が傾く。
夕焼け見ながら歩いていって、橙に染まった家へと向かう。
帰りたくないと思っていても、そこしか帰る場所はないから。
できるだけゆっくり歩いていたら、邪魔だと舌打ちされて睨まれる。
知らないあなたにそんなことされる筋合いはないと思ったところで、逆光であなたの顔がまったく見えない。
暗闇に包まれたらなにも見えなくなるのに、私は黒く染まっていることだけはわかる。
不公平。
いつだって不公平。
いろんな色に染まるのに、終わりはいつだって黒く染まる。
誰もいないところで黒く染まったら、元々の私は黒だということ。
黒く染まった私が本当の私。
それがわかっていれば、何色に染まったとしても大丈夫。
爪切り、三日月、ゴミ箱。
爪を切る。
パチンパチンと響く音。
それほど伸びてはいなかったけれど、気になったら切らずにはいられない。
爪が短すぎるといろいろ不便だから本当は切りたくないんだけど、少しでも短くしたい。
理由はわかっている。
爪のあいだに、あなたの痕跡が残っているから。
皮膚なのか細胞なのか汚れなのか匂いなのか。
あなたを引っ掻いた痕跡が、私の爪に残っている。
あなたはどこまでも適当で、その場しのぎで、耳障りの良い言葉と歯の浮くような言葉ばかり並べて積み重ねる。
そんなの嘘よ。
そうわかっていても、私は抗えない。
あなたはそれを知った上で言うから、本当に卑怯。
パチンパチンと爪を切る。
きれいに切れた爪は三日月のよう。
ひとつひとつテーブルの上に並べてみる。
不揃いな三日月が並んで、どれにもあなたの痕跡が。
全然、きれいじゃない。
一気にまとめてゴミ箱へ捨てる。
窓の外には本物の三日月が浮かんでいる。
爪はまた伸びる。
あなたに会うたび、伸びる。
そのたび爪を切らなくてはならない。
あなたの痕跡を消すように。
そろそろあなたから連絡が来るころ。
連絡が来るとしたら、いつもこの時間。
あなたは卑怯。
きっと私も卑怯。
歌声、公道、大声。
歌う勇気もないくせに。
道を歩きながら自転車を漕ぎながら歌うあなたは、きっと幸せなのね。
なんの歌を口ずさんでいるのかはわからない。
あなたは音痴だから。
でも、良い曲なのでしょう。
歌いたくなるくらいに。
私だって、ひとりでこっそり口ずさむ歌はどれも私のどこかに突き刺さったものばかりだから。
人前で歌う勇気なんてないから。
あなたはすごく幸せなのでしょう。
でも、たまにうるさく感じてしまうのは許して。
窓だけじゃなく、カーテンまで閉めてしまうことも。
メロディーに耳を澄ませても、歌詞を読み取ろうとしても、なんの歌なのかわからない。
あなたは音痴だから。
それでも幸せなのでしょう。
自分が好きな歌を口ずさんでいるときは、あなたも私も。
自分が幸せなとき、まわりはそれを妬んでばかり。
あなたも私も、きっとそう。
窓もカーテンも閉めるときがあれば、耳を澄ませるときもある。
どうしても勇気が出ないときもあるから。
隣のカーキはキレイに見える。
カーキ色のブルゾン。
君が着ているのは随分と色が薄いね、僕のと比べて。
形は似ているけれど、細かいところは全然違う。
どうしてこんなにも違うのだろう。
君はよく似合っている。
名前も知らない君は、薄いカーキ色のブルゾンがよく似合っている。
どうして僕は似合わないのだろう。
濃いカーキ色のブルゾンが。
君のと僕の。サイズは違うけれどお互いサイズ感は悪くないのに。
色の濃さの問題だけではない気がする。
僕のイメージしていた着こなしを、君はしている。
名前も知らない君は。
道ですれ違っただけの君は、もうどこかへ消えてしまった。
ガラスに映る僕のブルゾンは、光の加減で少しだけ薄く見える。
そんなに悪くないな、と思いながら君のブルゾンを思い出す。
薄いカーキ色のブルゾン。
そっちにすれば良かったかな。
君の顔はもう思い出せないのに、ブルゾンははっきりと思い出せる。
ハッピータイムを探してみたら。
一日ずっとハッピータイムだったらうれしいけれど、そんなことはないから探しに行く。
いつがハッピータイムなのか。
ごはん食べている時。
おしゃべりしている時。
洋服選んでいる時。
眠っている時。
何も考えていない時。
いろいろ考えている時。
どうしてこんなに一日はあっという間に過ぎていくのか。
もう少し時間があってもいいのに。
ハッピータイムを探せば、時間は短く感じてしまう。
何かしている時も何もしていない時も。
いつだってハッピーだったらうれしいのに。
そんなことを考えている時が一番ハッピーだってあなたは知ってる?私は知らない。
いつがハッピータイムなのか。
ハッピーなことを探していれば、もうそれはハッピータイム。
明日はいつ笑っているのか。
そう考えてみると。
それはもうハッピータイム。
手を伸ばし 宙ぶらりんな 君と春。
あったかくなったと思っていたら、また寒くなる。
風が冷たいと思っていたら、時折心地良くて。
少しの油断もできないことはわかっていても、すぐに一喜一憂してしまう。
上がったり下がったり。どこを鍛えているのだろうか。同じことのくりかえし。
厚手のコートも薄手のニットも両方必要だからハンガーが足りなくなる。
クローゼットに入れることなくすぐそこにかけるから、狭い部屋がもっと狭くなってしまう。
いつかは必ず来るとわかっていながら待ち遠しい。
春はすぐそこにいて、手を伸ばせば届きそうなのに、いつもつれない。
春は必ずやってくるとわかっていても、君はどうだかわからない。
手を伸ばしたら届くところにいるのに、君はいつもつれないまま。
上がったり下がったり。どこが鍛えられているのか。一喜一憂してばかりで、きっと鍛えられていない。
春は必ずやってくるのに。
手を伸ばさなくてもやってくるのに。
君に手を伸ばしたところで、私に春はやってくるのだろうか。
日記のようなもの⑤
素直な気持ちが言えなくて。
素っ気なく「またね」なんて軽く言う。
ものすごく世話になったのに、そんなことしか言えないなんて。
あなたのやさしさに甘えて、私の言い分ばかり。
あなたの言い分は知らんぷり。
わかってくれていると思っているから、わかってくれていないと思ったら怒って。
それでも、あなたは私を見放すことはなかった。
そこには感謝しかないのに、何も伝えられず、あなたは辞令を受け取った。
ずっとここにいるとは思っていなかった。
異動が多い会社だから。
わかっていたのに、どうしてあなたなのだろう。
あなたからそれを告げられたとき、私は平静を装うのに必死だった。
そっか。
大変だけどがんばって。
そんなことくらいしか言えなかった。
見せたくないところは、私にだってあるから。
きっと居なくなってから実感するのでしょう。
あなたの姿を見なくなってから。
「ありがとう」とちゃんと言えなくてごめんなさい。
「またね」は心の底から思っている。
ありがとう。またね。
必ずまた会いましょう。
握手だけして別れる。
あなたの手の温もりは、次会うときまでしっかり覚えているから。